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日経BP社
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発売日:2008-04-10
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カスタマーレビュー ![]()
わがまま民主主義
(2008-06-22)
自由主義というと「政府は悪だ」という印象があるが、「正義の法に反せざる限り」というのが自由主義の前提であって、つまり政府の役割は(最小限)必要不可欠だとしている。
その中で、政府の役割がどの程度必要かについて、国民がそれぞれの代表を出し合い、国会という場で自由競争のルールを決めるのが、近代以降の民主主義である。
つまり、本来ならば小麦の価格が高騰しているとかいうものも、すべては国民が望んだ自由競争のルールに基づいているものである。
しかし、現代はそれらの責任ですら政府に押し付けるようなわがままな民主主義になってしまっている。
良い、悪いではなく。
(2008-05-29)
小さな政府がいいとか、福祉も大切だとか、規制は悪だとか、主張はするが、どうしてそうすることが良いのか・・?
そういえば、先日、某旧大臣の経済学者が「利息に制限をつけるなんてけしからん。(高利で)駄目になったら破産処理したらいい。」と言っていた。
そのようなことを聞けば「なにを言っているんだ、悪徳金融のせいで何人もの人が自殺してるんだぞ!」と言いたくなるでしょう。
しかし、今、わたしは、『悪徳』と言ってしまいました。
つまり価値判断をしていまったわけです。そして、利息制限法はその価値判断を押し付けてしまった制度というわけです。
これこそ自由主義がもっとも敵視する『正義』の押し付けということ。
なにが正義かだれにも分からない、だから、自由にやらせることが前提(利息制限法撤廃)で問題がおこったら後処理(破産法)をすべきだというわけです。
米国のような自由主義市場社会を良しとする某氏も、こう考えていたわけです。
そういうことが、本書を読めばよくよく分かるようになります。
本書は、小さな政府や郵政事業(公営企業)民営化などの理論的根拠になる自由主義のバイプル的存在で、
現代の社会を深く読み解くには避けては通れない本です。
J.S.ミルの『自由論』からつづく、個性の尊重・自由意思の多様性受入れという自由主義の現代的昇華です。
・・・ご参考にしてくださいまし。
独立自営業者必読の書
(2008-05-26)
まずリバータリアン必読の古典がたいへん読みやすい新訳で刊行されたことを歓びたい。
日本人著者による類書を読むのと同じ感覚でスイスイ頭に入ってくる。
多種多様な価値観が共存する自由社会を支える「下部構造」は市場経済をおいて
ほかにない。市場とはとどのつまり外部との交通なのだから、日本的共同体の内部にあって
自足している者にとっては、本書は無縁だろう。
結論をいえば「お上」にたよらず生きようとする人々向けの書物なのである。
各人が「個」たりえる社会としての夜警国家〜市場主義をこそ実現すべきではないか。
各種社会福祉制度の廃止・医師免許制の廃止等、ラディカルかつ魅力的なアイデアが詰まった
フリードマンの書物。蔵研也や笠井潔の読者にも是非すすめたい。
リベラリストに破門された似非リベラリスト
(2008-05-24)
現在の日本社会が万民(国民のみならずという意味ですよ。念のため)にとって幸福であり、
たとえば後期高齢者医療制度が不可欠の制度であり、これを定着させることが未来の人民にとっても意義深いものであると心底信じている人というのがいるということが、本書のレビューをみるとわかる。
フリードマンは師であるナイトに破門され、ハイエクにも軽蔑されていた男である。これは何をか言わんや?
フリードマンの描く経済イデオロギー(理論?)は、現下の情勢にとってハッキリと悪の権化であると評者は理解する。フリードマンに係る「自由」の概念について、どうやらナイーブにも高い評価をし、ラジカルな自由主義者だとの見解を持つ人が少なくないようだが、少なくとも「自由」概念について書いた書物、たとえ新書でもよいから1冊読まれたほうがよかろう。誰のものでもよい。「自由」とは複雑錯綜した概念であって、そもそもいい加減なレビューの作文では扱えないものであるという程度の認識は必要だ。
リベラル、そしてネオリベラル。評者はどちらにも何の幻想も抱いていないし、同根の問題を孕むものではあるが、決して同じものではない。単純化すれば、それがナイトによるフリードマンの破門につながったとも言える。
本屋には濟まないが……
(2008-05-19)
ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」が新譯で發賣された。
本屋でチラと立ち讀みしたところ、「累進制課税」の弊害を論じた箇所に出食はした。
その本來の目的とした事とは異なり、善かれと導入された頭ごなしの制度と言ふものが、制度自體の論理的な歸結として、人々を苦しめる。
かうしたパラドクスは、日常常々起り得る事であり、われわれの極身近な認識とも一致する。
フリードマンの著作を、一般書などと侮る事勿れ。
プラトンやデカルトとても、あれは一般書と言つて良く、一般の知識や智慧と通底しない代物なんぞは、糞食らへである。

