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永井 隆

サンパウロ

グループ:Book

ランキング:126857

価格:¥ 788

発売日:1995-04

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カスタマーレビュー

みなさんは永井博士を知ってますか?  (2006-11-10)
 著者の永井博士は、長崎大学で放射線医学の研究を専門に行っていて、慢性骨髄性白血病を発病し、余命3年と診断されたそうです。そんな時にあの原子爆弾が落ちてきました。1945年8月9日のことです。 自分が亡き後の子供のことを頼んでおいた奥さんは、バケツの中の軽い骨となって家の焼け跡から拾わねばならなかったそうです。(たまたま子供たちは三日前から疎開していて無事だった。)
 博士は原爆による急性原子病も加わり、急速に病が進行していきました。それでも、博士は一生懸命生きました。自らの体(原子爆弾症)を研究材料に選び、数多くの負傷者の救護に当たりましたが、ついに2ヵ月後危篤に陥ります。なんとか回復するものの無理がたたり被爆から約1年後の1946年7月に長崎駅で倒れ以来寝たきりになってしまいました。      博士の体は脾臓が途方もなく大きくなり、少しでも衝撃を与えると破裂してしまい、内出血して死んでしまうため、幼い子供たちは博士に甘えたいのも我慢してたそうです。 博士は一分一秒でも死期を遅らせ子供たちが孤児になってしまうのを先に延ばしてあげようと必死に生きました。 奥さんが健在ならば、子供たちも母親に甘えることも出来ただろうにと思うと切なくなります。 博士は結局1951年5月に亡くなってしまいます。 まだ43歳の若さでした。 戦争がなければ、長崎に原子爆弾が落とされてなければ、博士はその後も研究を続け放射線医学の第一人者になってたかもしれません。 残念でなりません。 核実験のニュースが聞かれる昨今ですが、このような思いは誰もしたくないはずです。 世界平和について考えさせられる作品です。 皆さんもぜひ一生に一度はこの作品に触れてください。

平和のために  (2003-05-12)
 長崎を訪ねた事がありますか。如己堂という、たった二畳の小さな家が、浦上天主堂の近くにあります。放射線医学者だった、永井博士が、長崎の原爆後に生活し、文筆活動を行ったところです。自身の専攻だった放射線医学のために、大量に被爆し、慢性骨髄性白血病を発病し、予後数年といわれ、その上、原爆で妻をなくした方です。自分の亡き後に孤児になる二人の子供への手紙、子供のことを扱ったエッセイ、戦後の孤児対策について、などなどが書きつらねられています。己のように他人を愛するという、この方の真摯な生き方に心うたれますし、この文章は涙なくしては、よまれません。

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