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中央公論新社
グループ:Book
ランキング:9137
価格:¥ 900
発売日:2002-09
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異色の正統的万葉論
(2003-06-12)
昨年から今年にかけて立て続けにかの漢字学者白川静の著書が中公文庫に収録されていっている。大部の『字統』や『字訓』『字通』には手が出なくてもこれなら碩学の片鱗にも気軽に親しめそうだ。あとがきに「『万葉』についての考説を試みることは、私の素願の一つである。はじめに中国の古代文学に志したのも、そのことを準備する心づもりからであった」とあるのを見てあっと思うのは私一人ではないだろう。万葉学者や国学者にとって漢学は対立するものというイメージがあるし、一旦万葉集の森に迷った者は自分の内部がその魔境的な魅力に射抜かれるまで出てこられないのが万葉というものであろうから、万葉集を読むために中国文学者になり中国文学者として押しも押されもせぬ第一人者となった晩年の今..、今に今に、著者は再び初志を貫徹すべく充分な高見をもって自分自身の万葉論を展開したというのだから。
通常数期に分ける万葉歌を著者は二期に分ける。前期を人麻呂を中心として黒人、赤人を同列に論じ、憶良、旅人・家持を後期の中心とするのである。著者は終始一貫して「短歌の本質は儀礼における鎮魂・魂振りとしての、呪歌であった」という立場から「それが地霊を顕す自然の景象に向って発せられるときには叙景となり、人間に対する愛情の上に移されるときには相聞となる」として万葉歌をふんだんに論じていく。そういう本質的な理解に基づけば、自然、後期論での七夕論、表記論においても関心の中心は人麻呂ということになる。万葉集を読むことから万葉歌を詠んだ歌人の心へ、そしてその歌人の心から現代を詠むことに往還的につなげていくためには、神とともにでないとしたら共同作業的な活動になるだろう。折口の人麻呂歌人集団説ではないが、「巫祝社会的な基盤を主としてその集団性のうちに作歌者としての位相をみなければならない」とした上で、「集団の存在こそ、歌の伝承を可能にし、広汎な土壌の上に新しい文学の展開をもたらす」のだという著者の明言は、蓋し現代の短歌・俳句の大衆化された状況においても違った意味でかなり重要な指摘なのではないだろうか。

