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中央公論社
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ランキング:10067
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カスタマーレビュー ![]()
「自殺」を契機に「社会」の存在も証明している
(2008-02-29)
「自殺論」というタイトルがそれだけでモリエールの「人間ぎらい」並みのインパクトを持っていて、書名はずっと知っていたが、ずっと読む気になれずにいた。今回読んでみると、タイトルが想起させる印象とは全く違った、内実のある論述が展開されていた。
内容は、社会学自体が志向した、先行する形而上学や心理学、自然科学全般とは違う現実把握の方法を、当時から社会問題とされていた自殺に対して適用した分析で、序論・全三篇十三章に纏められている。全体の論述の方向としては、各国・各地域での自殺者数・自殺率の統計、自殺と関係すると思われる図表や数値を検討し、自殺に関わっている本質的な要因として、個人的側面ではなく社会的要因を挙げ(第一編)、以後、社会的要因の数々をデータに基づいて列挙し、その一つ一つに就いて分析を付す、といった流れを取り(第二編)、第三篇では以上の分析から社会全体に関わる複合的な把握と分析、最後に自殺に就いての対応策、といった手順を取る。
全体を見通して改めて考えてみると、この著作は自殺に就いての分析でありながら、その過程において「社会」が実在すること、社会が個人の生活、あるいは人間そのものの本質を規定していることを証明していることに気付く。自己本位的自殺、集団本位的自殺、アノミーという自殺の類型も社会の実在の確実さによって概念としての強度を獲得していることが見えてくる。この著作は、読むものに世界に就いての新たなリアリティを感じさせたに違いない。その意味で、きっと古典と呼ばれるのにふさわしいのだろう。
細かい部分を読んでいくと、今では統計学の授業で真っ先に注意される相関関係と因果関係の同一化をしていたり、今ならきっとフェミニズムの立場から非難の対象になる女性に就いての記述などもあるが、それによって価値が無くなることもないだろう一冊。ただ、記述の仕方が妙にねちっこいところもあります。
方法は最高に素晴らしいと思う。
(2006-06-06)
デュルケーム(デュルケム)という名前は前から気になっていたけど、社会学の古典的名著とされているということで読んでみた。
タイトルが「自殺論」であることから、人生に悩んだりとか行き詰った人が読むような本だと思う人もいるかもしれないがそうではない。
自殺をする人数や傾向等は国や地域によって違う(つまり社会によって違う)ので、自殺をベースにして社会を考える、といった感じである。
その当時の自殺が(現在もそうなのかもしれないが)それぞれの社会の違いを色濃く反映していたから、自殺を題材にしたんだと思う。違ったらすいません。
まず一番初めに自殺を定義して、それから自殺の要因として考えられるものを次々と挙げていって次々と否定していく。もちろんそれぞれにしっかりとした統計・資料等がくっついており、完璧ささえ感じる。
そこが、この本の社会学の入門書と言われる所以の一つになっているのかもしれないが、正直読むのしんどかった(笑)
こんなことやあんな細かいことまで・・・・・と驚くところもたくさんあるので、本当にすごく、詳しく自殺について述べられている本なのは実感できるし、社会学ってこういうものなんやって素人が読んでも思う点で格好の入門書なんだと思う。ただ、自分がそこまで楽しめなかったので、☆一つマイナス。
現代日本においてどこまで有効か?
(2005-10-09)
本書はふたつの読まれ方がされていると思われる。ひとつは社会学の方法論を学ぶための論文として、もうひとつは自殺論の本として。前者についてはすでに定評あるものとして、その観点からの研究本も多数出版されているので、わたくしは後者の点から考えてみたい。
本書では自殺者の三つのパターンとして、自己本位的自殺、集団本位的自殺、そしてアノミー的自殺というカテゴリーが提唱されている。一番目のものはプロテスタント信者に自殺者が多いという統計的事実から、二つ目は未開社会の観察に基づき(当時の日本における「ハラキリ」等もここに分類されている)、そして最後のものは経済危機や離婚問題の際にみられる、著者がつくりあげた概念である「アノミー」からそれぞれ考え出されたものである。この三つに大別した理由とその根拠については実は著者は明確に述べてはいないので、一つの仮説と考えてよい。
二番目のものは文明の発達に応じて減少すると著者は述べているので、最初と最後のタイプのみ考察に値する。最初のタイプは苦悩による自殺、最後のタイプは無力感(感情喪失)による自殺と言い換えられる。文学者の伊藤整の分析によれば、西欧文学者は「狂気による破滅者」が多いが、日本の文学者は自殺者が多いと述べている。そして確かに文学者に関する限りはどちらかに当てはまるだろう。現代日本でも有効な分析ツールと思われるが、実証的研究が望まれよう。
「社会についての知」として必要なすべてを装備した書
(2004-06-04)
「自殺:社会学のエチュード(研究)」とでも訳すしかないタイトルを持つこの書は、一般に『自殺論』と訳され、デュルケムの手になる社会学の一大古典として知られている。
タイトルは、「自殺」についての書であり、また同時に「社会学の研究」でもあるという、この書の性格を反映している。すなわち、それまでの憶測や偏見に満ちていた自殺研究に批判し、「個人的な病」(つまり、自殺する奴が悪い)と見なされてきた自殺を、「社会」的な観点からとらえなおす新たな自殺研究の書であると同時に、生まれたばかりで何ができるか世の人に明らかでなかった「社会学」なるものが、いったい何であり何を捉え解き明かすことができ、また何をなし得るかの具体的証明となるもの、つまり自殺の分析を通じての「社会学」の確立をなそうとする書であった。
自殺という事象は、19世紀末の社会不安を象徴するものとして、多くの人の口に上ったが、その原因については、個人の身体的または心理的要因に求めるか、一種の/若干の精神疾患にもとめるか、模倣や物理的環境に求める見解----デュルケムはこれらを逐一論駁していく:その過程で「自殺」を社会学的対象として掴み取るのだが----などに取り囲まれていた。
一方で、流行しつつあった、しかしまだ内実の備えていない、この新しい社会についての知は、「絢爛たる一般論」を競い合い「問題をなにひとつはっきり限定して取り扱おうとしない」。そもそも検証など受け付けない一般命題や「社会思想」、社会に関する一般的-形而上学的思弁の横行。対してデュルケムは「限定の精神」を発揮し、経験科学としての「この新しい社会についての知」を確立せんとする。
そうして彼は、この自殺に関するモノグラムに、問題の提起から理論の構成を経て実践的提言にいたる、「社会についての知」が備うべきすべてを装備した。
まさに古典の名にふさわしい
(2004-03-10)
本書は、19世紀末の自殺者の増加を受け「人はなぜ自殺するのか」を、個人的理由に還元することなく、社会構造に起因する問題だとして分析を進めている本である。
自殺を社会構造から考えるという発想自体も面白いが、何より感心するのはその手堅さだ。序論で自殺の定義をし、その要因として考え得る様々な要素をあげ、妥当でない要素を一つ一つ排除し(これだけに100ページ以上費やされる)、その結果社会的要因を見いだし、さらにそれを三つの類型に分けて分析ていくという一連の過程が、上記の問題意識のもとで一貫して進行していく。その際に統計的な手法を用いて数値によって論じていることもあって、その堅実な論述の進め方にはほとほと感心する。
また、最後の章で「実践的な結論」として自殺者の増加を防ぐ方法について考察されていることも好感が持てた。「まず対象となる問題をきちんと定義し、他の可能性を排除しつつ分析を進め、結論を出し、最後にそこから現実の問題を考える助けとする」という、よい論文のお手本のような名著だった。
したがって、この本はまず社会学のよき入門書になるだろう。最近の下手な新書や入門書を読むよりも、社会学の何たるかを身をもって堂々と示してくれるはずだ。また、評者のような門外漢の者にとっても、論文とはかくあるべしという一つの姿を見せてくれる。まさに古典の名にふさわしい名著ではないだろうか。

