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新潮社
グループ:Book
ランキング:33629
価格:¥ 380
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カスタマーレビュー ![]()
きれいはきたない。きたないはきれい。
(2007-09-09)
マクベス。魔女の予言。誰もかれもがマクベスにその手を汚せとささやく。
「きれいはきたない。きたないはきれい」という魔女のなぞの言葉・・・・。
それは完全無欠な人生を歩むには、邪魔者を殺しその手を汚すしかなく、
その手を汚したくなければ完全無欠な人生など歩めはしない(王にはなれない)という強迫なのだ。
それがマクベスの鍵となる文句。その強迫に操られてマクベスは死ぬ。
人間の本質と弱さを突く
(2007-05-13)
シェイクスピアの作品は、実際の演劇を見てから読むに限る。舞台での台詞のテンポと臨場感を一度経験しておくと、文学として読む作品に生命が宿る感覚を覚える。
どの作品もそうだが、マクベスも、シェイクスピアの人間の本質と弱さをシニカルに描いた作品と言うべきだろう。無闇に人生訓のようなものを導き出すのは良くないが、やはりどうしても、シニカルな視線の中に、学び取らねばならないものを感じてしまう。この作品では、魔女の囁きにそそのかれ、独善的となり、高揚した主人公が、冷静さを失ったゆえに、結局は身の破滅を導く、というストーリー。治世というレベルでなくとも、あらゆる人生の場面で、こんなことはあるものだ。
それにしても、やはりシェイクスピアの詩のような言い回し、巧みな比喩には、美しさを覚える。このような美しさ、それも”冷徹な美しさ”こそ、天才のなさる業だろう。
森が動く!
(2007-04-01)
W・シェイクスピアによる四大悲劇の一つ。
スコットランドの武将マクベスが、自らの野心と策略によって破滅する過程を描く。
王位欲しさに徳の高い君主であるスコットランド王ダンカンを暗殺したマクベス。
手にした王位を死守する為に非道の限りを尽くすも、犯した罪に苛まれる。
そして洞窟へ赴いたマクベスに魔女が言う。
「マクベスは滅びはしない。バーナムの大森林がダンシネインの丘に攻め上らぬ限りは」
「そんなことがあってたまるものか」
洞窟から帰ったマクベスはその後も非道の手を弛めることはなかったが、
魔女の言葉が真実であることを、やがて意外な形で知ることになる。
武闘派マクベスの内面の弱さによる葛藤が読みどころ。
ストーリーもシンプルで読み易い作品。
自身との対話
(2006-11-19)
個人的には冗長で長編の作品が好きなため、なかなかシェイクスピアの作品には手がでなかった。
作品同様、彼の作品に対する批評にもほとんど触れたことがないため、残念ながら作品の手法、芸術的側面についてはなんともコメントしがたい。
そういうわけで、今回は専ら内容的、警句的な側面について。
この作品では権力的志向の醜悪な側面がマクベスの顛末に体現されている。ある人がこれを端的に「権力の魔性」と表現したが、まさにこの一言に凝縮されるであろう。
マクベスが権力の魔性の虜となって行く転機はどこにあったのだろうか。言い換えれば彼はどこで踏みとどまれば作品のような悲劇的結末を体験せずにすんだのであろうか。
直接的な契機は三人の魔女との遭遇にあるように描かれている。三人の魔女に唆されたというように。しかし作中のマクベスは魔女達に偶然的に狂わされた人物としては決して描かれていないように思われる。むしろマクベス自身がもともと保持する醜悪な側面が単に魔女との出会いを契機に噴出したに過ぎないというほうが穿っているのではないだろうか。
私は常々思うことがある。自分の醜悪な側面の存在を認め向かい合い、内的対話により止揚せんとする姿勢が、自身の醜悪に飲まれず逆にそれをコントロールしていくための肝要なのではないか、と。
描かれてはいなため想像の域を出ないが、日常のマクベスにはそれがなかったのだろうと思う。おそらく彼は自分の醜悪な面をはっきり自覚した体験を持たず、故に止揚するすべを知らなかった。
そのため、魔女達との出会いにより噴出した醜悪性に対し、彼は抗する(むしろ付き合うというべきか)すべをもたなかったのだろうと思われる。そして醜悪性に飲まれていくのである。
殆ど想像のみから書いてしまったが、私の読後感である。
人間の脆弱さを戯曲で味わう
(2006-11-15)
私にとって恥ずかしながらこれが初シェークスピア作品となったのですが、この「マクベス」には無駄な描写がなく、ページ数も少ないため、すらすらと読み進められました。
全体として、魔女の預言が総て的中してしまうところや、マクベスが運命というものを意識しているところからも、世界や人間の動向を全的に操る「神」や「運命」といったものを作品から排除している訳ではないのですが、それでもその中に於ける一個人の持つ「欲望」といったものに視点を当て、人間の愚かさや脆さ、はたまた狂気というものを描いている点に、最終的に宗教的な救いがあるような作品とは別のリアルを感じました。
また、「いいえ、この世に生きているのだ、ここでは、悪いことをして、かえって褒められ、よいことをして、危ない目にあい、馬鹿呼ばわりもされかねない、そうだとすれば、悪いことをした覚えはないなど、所詮は女の愚痴でしかないのか?(p86 マクダフ婦人)」
「人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。(p110 マクベス)」
など、随所に印象的な台詞が登場し、戯曲ならではの味わいを感じられました。

