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志賀 直哉

新潮社

グループ:Book

ランキング:21423

価格:¥ 860

ポイント:8 pt

発売日:1990-03

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カスタマーレビュー

不思議な「名作」  (2007-10-01)
名作だが不思議だ、というのは以下の理由による。1)実際本書は大変な難産で何度か中断し、長期に亘ってやっと完結した経緯がある。かなり構成や文体が揺れており、一貫性という観点では、非常に荒れている、と言わざるを得ない。人物設定も物語の最初の頃は、思いつきが多い。2)全4部からなるが、特に第1部の文章は著者らしくなく、苦心が前面に出ていまひとつ。文章が説明調になっている箇所もしばしば。そのため著者自身が嫌う唐突な形容詞による表現が頻発する。しかし第2部以降は本領を発揮し、本来の著者らしい格別な描写力を発揮する。3)第2部以降は、この著者の文章力で引き込まれ、内容や構成、話の展開、心理描写などに疑問を残しつつも、それに拘泥させずに読者を引っ張っていく力があり、短編ならともかく、長編においてこの密度を持続させたことは感嘆しても仕切れない。難産だった理由は、一つには、1人称的な小説に本領を発揮する著者が、三人称で小説を展開し、うまくいかなかったことにあるのではないか(習作「時任謙作」は大正元年、前半完成は大正11年、その後当分書かない)、と思った。尤も、本書の名前で出版した時は、最終の部以外は大体できていたということだそうで、著者の引っかかりは他にあったのかもしれないが。いずれにせよ第1部の仕上がりは感心しない。。2部以降も三人称だが、「謙作」を「私」に置き換えても大過ないような書き振りに戻っている。序詞は「私」の一人称だがその据わりのよさと、2部以降の据わりのよさ、これに反して1部のなんともすべりの悪い文章は、明らかだ。三人称で書く際の距離のとり方、鳥瞰の仕方など解決できないことがあったのかもしれない。それにしても、お栄(祖父=父の妾)と結婚すると言い出すあたりは、分からなくはないが唐突で、一回り以上の年齢差を話の筋から度外視している書き振りにはやや不自然を感じる。子供の死亡、直子(妻)の不倫発覚のあたりは急展開で読ませるが、案外に、陰湿な展開にはならないことは著者の性格か。私はそういう著者が好きだが、今の時代ならもっとエグイ展開を要求する向きもあるだろう。主人公の複雑な生い立ちをテーマに展開する半生は興味深いが、決してのめり込まず、描写と心の動きと物語の展開がひとつになった流れは日本語の美しさと機能を最大限に発揮していると思う。描写することが思いを語ることで、事柄を展開することにもなるというのは日本語ならではのすばらしさか、と思いたくなる。絶対に「名作」だが、また、今となれば描写される世界は「文化史」の資料にもなると思える。

自分探しの旅  (2007-09-27)
私の故郷は尾道です。本書の前編において尾道は重要な舞台となっています。だからこそ私は今まで本書を読んだことがありませんでした。それは東京人が「はとバス」に乗らないような、大阪人が通天閣に昇らないようなそんな感覚で、余りにも存在が近すぎたからです。30半ばになってはじめて本書を読みました。一言で言えばこれは志賀直哉の自分探しの旅の小説だと思います。主人公の謙作は自分の出生の秘密について以前から薄々気が付いており、その事が常に謙作の心を不安定にします。その後のあらゆる場面において謙作の気持ちが大きく左右するのが非常にリアルに描かれています。自分でも分らないけどすごく自虐的になったり、暴力的になったりと自分で自分の心がコントロールできないことって皆さん経験があると思います。そんな自分でも分らない気持ちを人に伝えることは難しいことと思いますが志賀直哉はそれを見事に表現しています。小説の神様と言われた人だからこその偉業だと正直感心しました。

最高峰と読んでも良い  (2007-03-17)
 大岡昇平がこの作品を近代文学の最高峰と評価していたので、そこまでなら……という訳で読み始めました。はっきり言って最初は何が書いてあるのかさっぱり理解できませんでした。しかし、後で著者の作品をいくらか読んで解ったのですが、他の純文学作家に比べても志賀直哉は主義主張が弱いようです(少なくとも私はそう思いました)。それでも、かなり完成度が高い作品だな、と感じます。
 文体が無駄のない、鮮やかな描写の文章だということは間違いなく、解説でも著者の朋友達がその文章に感嘆していたということが書かれています。志賀直哉の様な文章が書けないので作家になる事をあきらめた、という人がいるくらいですからよっぽどです。しかし、そういわれてもあまり誇張の様に感じません。小説の神様といわれるだけの事はあるでしょう。
 作品の方は前述しましたように、主義をはっきりとつかむことは難しいです。大筋は、あらゆる苦難や困難を受け、それに対して自らの理論と価値観をもって、乗り越えようとする、そういうところでしょうか。所々で鮮やかな描写や、同感したくなる考えが出てきて、とても長い小説ですが無理なく読めます。
 ただ、人にとってはだらだらと書いていて何が言いたいか解らないという事になるかも知れません。三島由紀夫とかが好きな方にはあまりお勧めできませんね……。
 でも、こういう種類の小説がある、という意味でも読んでみてはいかがでしょう? 小説に対して違った見方が出来るようになると思います。

すぐれた感性で倫理を描く  (2007-02-25)
小説文学はどういうことをどういうふうに書くかに尽きる。物語性という点では志賀直哉の文学はけっして豊かだと言うことはできない。しかし、「どういうふうに書くか」という点では、近代の小説家の中では群を抜いている。その文体は読み手の感性を「立たせる」迫力に満ちている。
 この「暗夜行路」でも、我々は志賀の透徹したまなざしでとらえられた対象をその文体を通して感じるわけである。時任謙作の己の宿命に負けまいとする「倫理」もこの志賀の文体があってこそ、我々の胸をうつのだ。ここに描かれた風光は美しい。清らかに澄んだ眼が自然を描いているからだ。その「自然」が謙作の精神を健全に回復させる様子は、直截的で気持ちがいい。
 寝ている文体の小説をいくら読んでも、私は胸をうたれることはない。精神と身体が乖離し、バランスを崩すことが慢性化し、文学でも刺激的な題材の小説が氾濫している現状の中で、日本人はこういう小説を真摯に読み直す必要がある。すぐれた文学はそれだけの価値を持っている。

拘泥を捨てることによって見えてくる人生を知る物語  (2005-09-05)
 小説を物して碌を食む時任謙作は幼い頃、母を失った直後に父から引き離され、祖父のもとで育てられた経験がある。祖父と自分との間の出生の秘密、そして京都で見初めた妻・直子との間に生まれる溝。しかし謙作はそれら人生の苛酷な試練に対して、静かに、そして力強く、折り合いをつけて生きていこうとする…。

 古典文学というのは良いものです。数多くの読者の手を介しながら、歴史の中で埋もれることなく確かな地歩を固めて生き残った力強さを持っているからです。
 この「暗夜行路」を読みながら私は、作者である志賀直哉自身を投影した主人公・謙作の千々に乱れる心のひだを、じっくりと時間をかけて味わいました。

 祖父と母との間の不義の子として生を受けた謙作。彼はまた、健気で慈しみ溢れる直子の過ちにも直面することになります。こうした物語の粗筋について、この新潮文庫はその裏表紙で「力強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描く」とあります。しかし私の印象はそれとは異なるものでした。
 志賀直哉は内村鑑三のもとでキリスト教に深く触れた時期があったと聞きますが、むしろ私は本書の中に、執着(しゅうじゃく)を捨てる仏教的な世界観を見出しました。謙作はどこかに肯定的・積極的な諦念というものをもっていて、その力によって清濁のすべてを受け入れていくかのように見えるのです。主人公の年齢がおそらくまだ20代前半であることを考えると、稀有なほどの熟成ぶりを感じさせますが、40代の読者である私にはとても自然に心が寄り添うところがありました。

 物語の幕切れは、おそらく漱石が旅先で大量喀血したいわゆる「修善寺の大患」をモデルにしているのではないかと想像するのですが、このくだりは直子と謙作との切なく美しい恋愛物語として私の目に映りました。この最後の二行の美しさを味わうためにも、500頁強のこの長編小説をひもとく価値は大いにあると思います。

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